高次脳機能障害 ☆彡

「事故から12年、グアテマラ再訪報告会」
〜真の友達は、隣にいてくれた〜

先日、島根県松江市で
参加した講演・報告会のタイトルです。

お会いするとコーヒーや健康のことなど、
色んなお話をさせて頂き、情報を頂く
知人の敏(びん)さんの講演会。

昨秋、12年ぶりに息子の太助さんと
旅したグアテマラのお話と
その旅の意味を伝えるのに重要な
息子・太助さんが持つ「高次脳機能障害」の
12年に渡る見守り・関わり・縁の繋がりの
報告でした。

最初に敏さんと太助さんがご挨拶。
すぐに言葉が出ない時もある太助さんですが、
言いたいことは十分伝わります。

2時間の予定が、3時間に。
多くのスライド写真を使い、お話。
12年のことを2時間では語り尽くせません。
言葉、思いが溢れ出てきます。

わかります、わかります。
参加者は、みんな観入り・聴き入りました。

太助さんについて、
ご本人や敏さんから「高次脳機能障害」の
お話、経過について1年余り前から
聞かせて頂いていました。

今回の報告会でこれまでの取り組みを
改めて知りました。
心打たれました。

山あり谷あり、多くの場面で多くの葛藤を
経験し、自分や周りとの戦いがあり、
そこにはいつも家族・恩師・各専門家、友人達、
現地の関係者…が。
多くの人の愛が溢れ、触れ合いがありました。

太助さんが交換した多くのギフト☆


サブタイトルの
〜真の友達は、隣にいてくれた〜
一番伝えたかったことのように思います。

高次脳機能障害が故の不自由さについて
そのまま表現して隠さず、彼のままを尊重し、
自律・自立の道を模索するお話。

変化の岐路に立つ時、いつも「人」がいます。
事故の前からの人、障害を持ってからの人…
色んな人とのご縁がどんどん繋がり、
太助さんの夢が広がり、語り、
形になっています。

家族だからこそ、そばで関わるけど、
お互いに理解できないことは多々あり、
ストレスがたまることも多々あるので
ぶつかる時はぶつかる、

どうにも理解できない時は、専門家に相談。
助けを借りてとことん理解しようとする。

多くの人の助けを借りて、12年過ぎたと
言います。
太助さんの存在・経験は、同病者だけでなく
色んな人にとって、大切な経験・学び、励みに
なったと思います。

主人公の太助さんは、
2006年3月、留学先のグアテマラで
横断歩道を渡っていてバイクに衝突される
交通事故で、足と肋骨に3箇所の骨折。

骨折の治療だけなら、手術等で治療し、
日にち薬で回復したでしょう。

が、手術時の麻酔ミスで意識不明の重体に。
脳に障害が残り『高次脳機能障害』と診断
がついて、今に至っています。

当初、グアテマラの入院先の医師からは
「今後、植物人間か良くなっても車椅子生活」
と言われたとのこと。

13年前、太助さんから留学のことを聞いた時、
敏さんたちは、“何でその国?、どこにあるんかね”
“留学するなら、もっと他にあるだろう”
と思ったそう。

そして、自分で決めて希望を持って留学した国、
元気に色んな経験を積んでくれたらいい、
と思っていたら、事故の知らせだったと。

12年前に太助さんの両親・敏さんご夫婦は、
事故の知らせを聞き、初めてグアテマラに。
(この時、景色を見る余裕もなく…)

現地の病院のベッドでは、
意識なく、沢山のチューブをつけられ
横たわる太助さんが。

変わり果てた息子の姿を見て、
“このままではダメだ!”と感じ
医療でも発展途上の国から、
日本に連れて帰る準備をしたと。

太助さんの病状では、医師の付き添いがないと
飛行機に乗れません。
医師である敏さんの弟、太助さんのおじさんに
付き添いを依頼。

自分の意思では安定した位置を保てない
脳に障害を持ったグラグラの頭を固定し、
色んな人の協力を得て、点滴しながら、
見守られながら帰国の途に。

帰国してから
「高次脳機能障害」を持った太助さんの
回復への本格的な治療、
新たな可能性を見つける旅が
始まりました。

お父様の敏さんは、メインの仕事を辞め、
太助くんのそばに付き添い、向き合い、
現状を把握。

隠すことなく色んな場所で、色んな人に話し、
相談し、助言を求めました。

身体の治療が終了したら、
リハビリが充実している施設を探し、
情報収集して、いいと思えば転院。

身体と脳の機能が落ちないように
リハビリ施設や家庭で機能訓練しました。

車椅子から歩行訓練、自力で歩けるようになると
これからの人生を考え、あえて一人暮らしに。

太助さんを連れ出し、色んな体験をさせました。
できる・できないを決めず、
行ったらわかる、やったらわかる
の考え。

主治医や理学療法士、言語療法士など、
専門機関や専門家任せにしない、
同病者と比較もせず、本人の声を聞きながら、
実践してみる、
「今、目の前にいる本人が本当の姿」と
信念があったように思います。

太助さんの妹さんは、大学を1年休学して、
リハビリ中の太助さんのそばで
理学療法士のやり方をメモしながら学び、
家庭で実践したと言います。

どんなに素晴らしい施設で、素晴らしい専門家に
リハビリ訓練(言語訓練)をしてもらっても、
家庭でも、継続的に意識して実践しないと
可動域・言語量など止まるのではなく、
後退すると言われています。

高次脳機能障害になった原因、背景について
「みんな違う!
必ず何か改善の方法はある!」
の考えの元、諦めず良いと思うことは何でも
必死に取り組んだご家族。

愛情あふれる家族ならではの行動力。
情報の吸収力、実践力がスゴイ!
本当に素敵です☆

太助さんの大学の恩師が、
太助さんの友人の一人に尋ねました。
「何故、そんなに太助くんのお世話をするの?」

友人は答えました。
「もし自分が太助と同じ状態になった時、
あいつは一番に飛んできて、同じように
そばにいてくれるはず」

父親である敏さんは、
「事故の前まで、父親には反発ばかりで
会話も少なく、太助のことはわからなかった」

「事故に遭って、色んなことがあって、
太助の世界が見えた。
将来の心配はあるけど、色んな人に出会い、
助けられて今がある」
と話していました。

コーヒーを焙る太助さん


2017年7月、太助店長の『太助珈琲屋』
が開店しました。

心身・脳の疲労を考え、出勤時間は考慮。
ご家族や色んな人の支えもあり、
こだわりの美味しいコーヒーをお客様に
提供しています。

そんな太助さんが、二つの目的を持って、
昨秋、父親の敏さんと一緒にグアテマラに。

一つは、13年前の留学時から、事故の時も
現地でお世話になった方々に
元気な姿をお見せすること

二つ目は、グアテマラの無農薬(オーガニック)の
美味しいコーヒーを農家さんから
直接、日本に輸入すること。
お互いに幸せになること♡

高次脳機能障害を持ちながら
一つ一つ夢を叶えている太助さんの物語。
凄い!
まだまだ夢の途中♡

講演会の最後に、太助さんは
「これからも人を助け、人に助けられ
頑張ります。
本日はありがとうございました」
とご挨拶されました。

貴重な経験を分けて頂き、心から感謝♡

—————————
「高次脳機能障害」という、病名(疾患名)は
2000年以降、認められたように思います。
学会もできて、少しづつ理解されるように
なりましたが、まだまだです。

30年以上前のことを思い出します。
故郷の友人の嫁ぎ先の舅さん(お父様)のこと…
自宅前でトラックの事故に遭い
生死の間を彷徨い、生還しました。
が、脳障害が残りました。

今なら「高次脳機能障害」だとハッキリ言えます。
が、その頃は精神疾患として扱われました。
感情障害・行動障害があり、精神科に隔離され、
薬物治療のみ受けました。

婚約中に友人が面会に行った時、
義父さまが優しい笑顔で、友人を見たそう。
酷い環境で合わない扱いを受けていると感じ、
涙が止まらなかったと。

結婚と同時にご主人の両親と同居を決め、
家に連れて帰りました。

徐々に穏やかな表情になり、薬もやめ
家で過ごしました。
3人の孫ができ家族が増え、声かけが増え
見守りや刺激が増えると、より表情豊かに
言葉が増えました。

3人の子供たちは、ニコニコして座っている
おじいちゃんのそばに自然に寄って行き、
お世話やお手伝いもしました。

どんな病気もそうですが、
回復には治療環境や人の力(愛♡)が大きいと
改めて思います。

※「高次脳機能障害」参考文書
脳卒中や事故などをきっかけとして脳の機能が著しく障害を受けることにより、さまざまな状態を引き起こすことを指します。
たとえば、ものを覚える、気持ちを抑える、目的を持ってものごとを遂行する、などがうまく行えなくなってしまう状態です。上記のような状態となることから、高次脳機能障害を発症すると、日常生活を送ることが難しくなる場合もあります。

治療は、リハビリテーションが基本となります。
具体的には、言語療法や作業療法、理学療法などの医学的な訓練を行います。

【イラスト: 動物画家・田中克弥】

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