「東日本大震災 3.11」 あれから8年

被災地が教えてくれたこと。
「避難訓練、避難教育を大切に」
「日頃から避難の計画を立てておく」
「思い込みに囚われず、早めに避難する!」
家族・関係者と共有!

ときわ母さん手作りのお地蔵様


あの日から、
東北の被災地に訪問させて頂き、
8年になります。
ただ祈ります。

改めて思い出します。
ときわ母さん(石巻)手づくりの
優しいお地蔵さまと共に思います。

現在も、死者 15,897人、
震災関連死を合わせると22,100人。
行方不明者 2,533人。

関連の疾患や障害の方もいらっしゃいます。
生活習慣病も増えています。
被災地の医療機関に従事している
友人が教えてくれました。

震災・津波だけが原因と言えなくても
大きく影響していることは想像できます。
そのことを知る機会は少ない…

時間が経てば経つほど、
周りが落ち着けば落ち着くほど
心の疲れが出る方も多くいます。

プレハブ仮設住宅の
避難生活者 5,000人を含む、
避難生活者は52,000人。
まだまだですね…

私が関わらせていただいた方は、
多くはありませんが、
皆さま、復興住宅・公営住宅に
入居されています。
在宅被災者の方は、
修理が終わり落ち着いています。

今、現地に伺う時は、
故郷への里帰りのように
仲良くして頂いています。

今日の日に思います。
ご縁に感謝

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5年前、あれから3年の今日、
フェイスブックで書いた言葉、
載せたいと思います。

書いた4つの被災地に加え、
あの日から4年目で
福島県川内村に訪問しました。
個人での訪問は簡単ではありません。
音楽療法の一つで誘って頂き、
叶いました。

その時、特に印象に残り、
再度、個人で訪ねた農家さんがいます。

ご先祖様が残してくれた土地を大切に、
自分を信じ、無農薬の米作りを続ける
素晴らしい農家さん。
映画にもなった方・ご家族でした。
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平成25年3月11日 記

「東日本大震災 3.11」
〜あれから3年に思う〜

被災地・石巻市で頂いた
手作りのお地蔵さまと共に、
亡くなられた方の
ご冥福をお祈りします。

まだ行方不明の方も多くいらっしゃいます。
関係者のお気持ちを思うと心痛みます。

今も約26万7千人の人たちが
避難生活をしています。
被災された皆様の一日でも早くの
生活復興・心の復興を願いお祈りします。
このお地蔵様、東北に向かい、
手を合わせています。

あの大震災・大津波から2ヶ月後、
最初の訪問は宮城県石巻市。

東京の看護学校の同級生が嫁いでいたから…、
でした。
東北で頭に浮かぶ知り合いといえば
石巻の同級生のKさんだけ。

自分のペースで気楽に動くために、
個人で訪問すると決めました。

訪問は自然な流れ、
行かない理由が見つかりませんでした。

当時、テレビの映像で観て
色々想像し涙するばかり、
十分泣いて胸に熱いものが。

“行ってみよう、行ったらわかる、
五感で現場を感じよう!”
と思いました。

“まずは声をかけよう、話を聞こう”
“それから何ができるか考えよう”
という気持ちでした。

すぐに行っても役に立たないことを感じ、
2カ月後に行くと決め、
その間に情報収集、訪問の準備。

◼︎最初はあの日から2ヶ月の「石巻市」。
市内は各所で自衛隊が大活躍、
信号がなく他府県からの警察官が
手信号で交通整理していたのが印象的。

各避難所では
これも他府県の自治体が本部を持ち、
避難者の安全を管理。
戦争は知らないけど、その時の混乱を
想像させる光景でした。

とにかく“五感で現場を感じよう!”と思い、
“できる限り人と関わろう”
とも思いました。

一人一人と関わり、
それから“何ができるか考えよう”でした。
仮設住宅に在宅被災者にと、
多くの人と会い、聴き、話しています。

◼︎次は、6ヶ月目の9月、
気になる場所「女川町」へ。
石巻市の隣町。

総合体育館避難所で出会った夏子さんのお陰で、
今も仮設住宅でお茶っこ交流ができています。

仮設に住む80歳の夏子さんは、
自分が健康で家のことを守ることが
若夫婦が安心して働けることに繋がる、
と言います。

ボランティアさんが作ってくれた
畑で野菜を作り、
足腰弱らないようにウオーキングをし、
人とのコミュニケーションの場も自ら参加。
個人で出来る復興への努力を惜しみません。

最初の頃に仲良くなった
漁師さん家族がいます。
もうすぐ新しい船が出来上がります。
見たい、立ち会いたい(^。^)。

家も船も流され、大家族は、
3つに分かれ仮設住宅に住んでいます。
漁師のお父さんは身体もお金も大変なので、
自分の代で漁師はやめるし、
中古船で良いと思って養殖を続けていました。

昨年、息子が後を継ぐと決めたので、
九州の造船会社に船を注文したそうです。
家族を思い復興の動きを続けています。

◼︎そして、あの日から10ヶ月目で
ご紹介があり、繋がった「名取市」

この時の一番の目的は、
医療・保健機関の従事者、
仮設住宅の相談員さんなど、
支援者を支援すること。

どこの被災地に訪問しても、
被災者でありながら、
支援者の立場の人が多くいます。

団体でも個人でも関わります。
そして、他の被災地と同じように、
仮設住宅の談話室でお茶っこ会、
戸別訪問をしています。

私が訪ねる仮設住宅の皆さんが
住んでいた元の場所、
まだ復興の決定が出ていません。

心穏やかじゃない中でも、
私が行くときはお茶っこ♫。
歌ったり、踊ったり、語ったり…
「今、ここ」で出来ることをして、
あとは行政任せになります。

◼︎あれから2年、
最後に訪問したのが岩手県「田野畑村」
FBで田野畑村の人と友達になり、
この地名を知りました。

3年目に入った頃から訪問し、
もうすぐ1年になります。

田野畑の人間力・村の底力に感動し、
関心・感心でいっぱいです。
私目線・私感覚で研究中。

村を通る「三陸鉄道」北リアス線、
4月6日開通で全線開通です(*^_^*)。
復興の証の一つ、嬉しいんです♫

いつもレンタカーで動くので、
乗ったことはないです。
いつか必ず乗ります。

今は季節限定のコタツ列車が
走っています。

大津波で島越駅が倒壊し、
周辺の島越地区は
壊滅的な被害を受けました。

電車を利用していた人は、
代替バスで移動を強いられ
不自由な時を過ごしました。

島越の皆さんが住む
「中学校仮設住宅」にも訪問。
仲良くしてもらい、
貴重なお話も聴かせて頂いてます。

あれから3年目に入った頃から
感じたことが。
行政の復興計画と各地元の人たちの
復興への期待のズレ、
個人(心)の復興格差です。

被災状況・範囲は全く違いますが、
阪神大震災の時も、3年目ぐらいから
復興格差を感じました。

今日はあの日から3年…。
4年目に入ります。
これからも身の丈で私らしく、
出来ることをします。

新たに出来た4つの故郷、
その場、人を楽しみます。

これまで出会った皆様と
繋がります。離れていても…

皆様の経験を分けていただき、
学ばせていただきます。

東北の人間力・底力をみせて頂きます。
私のこれからの人生、
次のご縁に必ず生かします。

皆様とのご縁に感謝!
ありがとうございます。

これからも
よろしくお願いします(*^_^*)

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